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『飢餓同盟』

飢餓同盟 (新潮文庫)

安部公房著『飢餓同盟』新潮社、2006年。

 

 1954年に大日本雄弁会講談社から出版された当時、安部公房30歳。

 新潮文庫の背表紙を水色に戻してくれ!銀色はなんか嫌だ。安部公房だから銀色でしょ、みたいなのはわかるけど、水色の方が雰囲気でると思うんだけど......あと、裏表紙の作品紹介みたいな文章、『飢餓同盟』に関しては完全にネタバレしているので、あまり読まない方がいいと思います。というか、新潮文庫の紹介文ってネタバレ多くない?

 『飢餓同盟』はなんか全体的に笑わせにきているところが多い。いままでに読んだ、『砂の女』とか『方舟さくら丸』とかも笑えるポイントは結構あったと記憶があるけど、それよりも露骨。

 たとえば、ナチスに脳の機能を開発された男が登場する場面で、

人間メーターだったのだ!

とか、「ひもじい同盟」から「飢餓同盟」に改名したことをアピールして勧誘するところでは、

今朝、ついほんの今しがた、名前が変ったばかりなんですよ。こんどは、飢餓同盟っていうんだけど、どうです、まえよりは、ずっといい感じでしょう?なにか、こう、思想的な重みあって......

 みたいな感じ。「人間メーターだったのだ!」って変なアニメかな?

 よろず屋の源さんが、作品内のどこで初めて言及されたのか見失ってしまった。気になる。

 メインの登場人物の花井太助は、発電所を建てて町の経済基盤を奪取することで、町の支配者たちに復讐してやる!みたいなことをずっと考え続ける。なんか最近読む小説、読む小説、ぜんぶ俺じゃん!って感じになってしまっていて、『飢餓同盟』もそうだった。

 安部公房の小説によくある、こっちからあっちはこう見えていたけど、あっちからこっちをみたらこうだった、みたいな視線の反転みたいなものがすごくおもしろいなあ、と思う。

 

 加藤弘一さんの『飢餓同盟』を含む安部作品に関する評論をたまたま見かけた。小説はこういうふうに読む/読めるんだなあって少し感動しました。「花井はべつにひもじい野郎(よそ者)じゃなくない?」っていう疑問点も解消された。

http://www.horagai.com/www/abe/kiga1.htm

 

 『飢餓同盟』は、ドストエフスキーの『悪霊』を下敷きにしているらしいので、そちらも読んでみたいです。

 

 『飢餓同盟』とまったく関係ないんですけど、生駒里奈さんと山田五郎さんって滑舌似てない?

『1973年のピンボール』

1973年のピンボール (講談社文庫)

村上春樹著『1973年のピンボール講談社、2004年。

 

 第83回(1980年上半期)芥川賞候補作。候補当時、村上春樹31歳。

 

 『風の歌を聴け』は夏の話だった。『1973年のピンボール』は夏の終わりからはじまる。鼠三部作の第2弾。なんか完結編は『ダンス・ダンス・ダンス』らしいですね。『羊をめぐる冒険』かと思ってた。『ダンス・ダンス・ダンス』が文庫本で上下巻なの全然知らなかったな。勝手に『風の歌を聴け』とか『1973年のピンボール』ぐらいの薄さだと思いこんでた。『羊をめぐる冒険』が上下なのは知ってたけど。この二作はまだ読んでないので、これから楽しみ。

 夏の終わり......

何も変わる事なく ひと夏が過ぎ去り

言葉通りの お別れだけ

(SUGAR BABE 「夏の終わりに」)

 『1973年のピンボール』って、なんか動物がかわいそうな表現が多いなあ。プチ・エピソードでも比喩でも。ネズミ捕りでネズミが死んだり、電話の配電盤が母犬にたとえられて、母犬が死んだら仔犬も死んで、なんとか、みたいな。こういう感じのが山のように出てくる。なんとなく嫌......べつに人間が死んだりするのは普通の感傷として受けいれられるけど、動物は嫌だな......あと、セックスに関する直接的な言及が多い。これも多少、嫌......『風の歌を聴け』は、そんなでもなかった気がする。でも、『1973年のピンボール』が最高なことにはちがいないんだけどね。

 僕はため息をついた。「死なせたくない」
 「気持ちはわかるわ」と一人が言った。「でもきっと、あなたには荷が重すぎたのよ」

 それはまるで今年の冬は雪が少ないからスキーはあきらめなさい、とでも言う時のような実にあっさりとした言い方だった。僕はあきらめてコーヒーを飲んだ。

 いま自分の人生史上いちばん、初期春樹がいい感じになってる気がしなくもない。『風の歌を聴け』を永遠に読みかえしていたから、それと『1973年のピンボール』しかまだ読んでないんだけど。だから、『羊をめぐる冒険』以降が残ってるのかあ、と思うとかなり楽しみ。いちど読んだ小説を何回も読むのが好きだから、読んだことのない小説を楽しみに思うことはそんなにないんだけど、いまはすごい楽しみ。

 ジェイって、中国に行ったことがないみたいなことを、『風の歌を聴け』で言ってた記憶があったから日本生まれかと思ってたけど、中国生まれなんですね。まあ、前作とのつながりをどう考えるかって問題はあると思いますが。もの心ついてからは行ったことがないってことかな。

 

 短編小説自体があまり得意じゃないから、とりあえず村上春樹の長編小説は出版順に全部読みたい。

  1. 風の歌を聴け
  2. 1973年のピンボール
  3. 羊をめぐる冒険
  4. 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
  5. ノルウェイの森
  6. ダンス・ダンス・ダンス
  7. 国境の南、太陽の西
  8. ねじまき鳥クロニクル
  9. スプートニクの恋人
  10. 海辺のカフカ
  11. アフターダーク
  12. 1Q84
  13. 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
  14. 騎士団長殺し

 でも、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』と『騎士団長殺し』はあんまり読みたいと思わないな笑

『海と毒薬』

海と毒薬 (新潮文庫)

遠藤周作著『海と毒薬』新潮社、1960年。

 

 第5回(1958年)新潮社文学賞、第12回(1958年)毎日出版文化賞文学・芸術部門受賞作。新潮社文学賞は、亀井勝一郎河上徹太郎川端康成河盛好蔵小林秀雄中島健蔵中村光夫山本健吉、新潮社出版部長が選考委員。毎日出版文学賞は、面倒だから省略。受賞当時、遠藤周作34歳。

 

 4月はやはり学校のはじまりでもあるし、色々あって、読むのにかなり時間がかかってしまった。時間がかかったというより、途中に何度かしばらく放置してしまったから、休憩期間が多かったというべきかな。まあ、『海と毒薬』を読むのは2度目なわけですけども。結構好きな本で、初めて読んでから、心に印象がかなり残っていて、それでまた読みたいなあって思って、読み返したんですよお。遠藤周作の小説によくある気がするんですけど、本筋のストーリーが一旦進んでから、そこに登場した人物たちの個人史が一人称とかなんかそんなんで語られなおして、どういうふうな経緯、心境で彼らがその事件というかメインの物語に参加していたかが、わかってくる、という構成が、めっちゃ好き。『海と毒薬』だと、あの看護婦の手記がいい感じですね。個人的には。何回も思い出してしまう。遠藤周作の小説は、余韻がすごいんです。

医学部の西には海がみえる。屋上にでるたびに彼は時にはくるしいほど碧く光り、時には陰鬱に黝ずんだ海を眺める。

  屋上から見える黒い街と黒い海、というイメージがなぜか好き。

遠藤が九州大学病院の建物に見舞い客を装って潜り込んだ際、屋上で手すりにもたれて雨にけぶる町と海とを見つめ、「海と毒薬」という題がうかんだという。評論家の山本健吉は、「運命とは黒い海であり、自分を破片のように押し流すもの。そして人間の意志や良心を麻痺させてしまうような状況を毒薬と名づけたのだろう」としている。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/海と毒薬)

 苦い諦めといいようのない疲労...... 

 

映画『勝手にしやがれ』

勝手にしやがれ [DVD]

  はじめてゴダールの映画を観た。おもしろかったといえばおもしろかったし、なんとなく格好いいし、ストーリーも把握できたつもりだけど、なぜか、サッパリ意味がわからない、という感想が出てきてしまう。どこがわからないのか、この映画において意味とはなにか、何がわからないのかもわからない。どうしようもないな......

 フランス語がちょくちょく聞き取れて嬉しかった。フランス人の髪ってやわらかそう......まあ、それが今の感想かな......困ったな。

 

 全然1ミリも関係ないんだけど、堀(未央奈)ちゃんの岐阜弁が可愛すぎるんやが。

映画『時をかける少女』

時をかける少女

  1983年の大林宣彦監督による、原田知世主演のバージョン。原田知世は当時15歳。わたし的にはかなり好きな映画。わたし的、以外の「好き」が存在するのかどうか知らないが。あまりにも有名な作品だし、大林宣彦だし、原田知世だしで、めちゃくちゃ権威のある映画かと思って、まわりの知人たちに観てもらったら、かなりの不評で、結構ビックリした。演技が下手すぎる、話の筋が出鱈目すぎ、途中で笑わせにきてる、などなど。まあ、完全にそうだと思いますよ、私も。でも、それを超えるものがあるわけじゃないですか。胸に迫るものがあるわけじゃないですか。その欠点が、あきらかに、ひとつの調和をもたらしている。間違いなく、記憶に焼き付いて、これからさきの人生の折々で、何度となくフラッシュバックしたり反芻したりするような映画なんですよ。あ、これ『時をかける少女』じゃん!みたいな。演技下手だと思うけど、ほかの80年代の日本映画観たら、だいたいみんなこんな感じのしゃべり方だし、80年代の日本人はリアルでもこういうふうに話してたんじゃないかな、と思わなくもないです。でも、そんなことはどうでもいいではありませんか。原田知世がかわいいのだから。しかし、性的過ぎなくもないですけどね。撮り方が、完璧にいやらしいですよね、いちいちが。思春期の少女の性的な戸惑いみたいなものがテーマらしく思えたので、当たり前かもしれませんが。あまりにも有名なエンドロールの、原田知世が「時をかける少女」を歌うところ。最高です。もうそれだけで最高なんです。いいんです、それで。

『風の歌を聴け』

風の歌を聴け (講談社文庫)

村上春樹著『風の歌を聴け講談社、1979年。

 

 第22回(1979年)群像新人文学賞受賞作。選考委員は、佐々木基一佐多稲子島尾敏雄丸谷才一吉行淳之介。受賞当時、村上春樹30歳。

 私は『風の歌を聴け』をほとんど偏愛しています。気が向いたときに、何度となく読み返してきました。というほどは読んでないんですが、偏愛しているのは本当です、というふうに自分のなかでは諒解しています。でも、読んでないといったって、今回を含めて四回くらいは通しで読んできたと思う。適当にパラパラとめくってみてもきた。だけど、毎回しばらくして、内容を思い出そうとしても、鮮明にはディテールを思い出せません。なんとなく、読んだときの感傷があるような気がするだけです。夏の終わりの寂しさが、テーマというかなんというかそういうものだと思いますが、その寂しさの印象が、『風の歌を聴け』への私のすべてです。印象でしかないといえばそうなんですが、個別のエピソードの積み重ねが、なにかを完璧にとららえています。スキー場とかそういう旅行先の売店でよく売っている空気の缶詰みたいなかんじです。べつに、なかに何か入っているわけでもないけども、間違いなく、そのときの、感情とか目に入ってきた映像とかを一瞬にしてフラッシュバックさせるような、そういう力があると思います。永遠に・その・時・が・ある。からこそ、何度も何度も再読を誘う作品であるのだろうと。しかし、個人的な問題として一つあるのが、『風の歌を聴け』を愛しているだけで、その後の『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』などなどにつながっていかないことです。私は、根本的に好奇心というか知的向上心が欠如していて、こと生活に関しては非常な保守性を示す性質らしい。無理矢理に一回でも読んでしまえば、もう慣れてしまって楽しめるんだけど、そこまでに心理的な障壁がかなり。ここまでは読んだぞ、と記録するためにこのブログをはじめたので、ここから進んでみたい。強迫神経症っぽいと勝手に思ってます。強迫神経症についてべつに何も知りませんので、妄想ですが。と、いろいろ言ってきましたが、『風の歌を聴け』にも違和を感じる部分もかなりあります。第一、鼻に付くことは否定できませんな。『砂の女』とタイムラグなしに読んだんですけど、『砂の女』と比べると、どうでもいいことをグチグチ言いやがって、と思う部分がかなりある。「ほかのひとのことなんて、どうでもいいじゃないですか」と、ただ働くような姿と比べると、甘えやがってと感じてしまう。『風の歌を聴け』は、若者を扱った小説なんで当たり前かもしれませんけどね。それに、倫理的にどうなんだ、と思うようなところが散見されます。そのなかでも、今回はじめて気づいたのは、中国人のジェイに対する軽口でした。と言っても、小説内では直接ジェイに言っているわけではありませんが。ジェイは中国人なのに「僕」よりも日本語が上手い、みたいなことを言っているわけですけども、話を後半まで読み進めてみると、ジェイは中国には一度も行ったことがないらしい。おそらく、というか確定だと思いますが、ジェイは日本生まれな訳です。それならば、ジェイが「僕」よりも日本語が上手くったって、なんの不思議もないではないか。と思ってたけど、『1973年のピンボール』読んだら、中国生まれでした。みたいなことがちょっと引っかかったりしてみたり、自殺の扱いどうなんだとか色々ありましたが、そんな傷は大した問題ではない。私は『風の音を聴け』が好きなんです。

『砂の女』

砂の女 (新潮文庫)

安部公房著『砂の女』新潮社、2003年。

 

 第14回(1962年度)讀賣文学賞小説賞受賞作。選考委員は、矢鱈に多いので省略。受賞当時、安部公房38歳。新潮文庫の解説は、ドナルド・キーン。背表紙は銀色じゃなくて水色のほうがいいのになぁ......

──3、4年生の時に何があったのか気になるところですが(笑)。暗くて重い本というところで、“最近ハマった作家”が安部公房というのも納得です。

齋藤 そうなんですよ。最近読んでハマってしまいました。

──ちなみに何を読まれたんですか?

齋藤 『砂の女』を初めて読んで、“なんだこれは?!”と。今まで貫井さんがトップだったんですけど、一瞬で並びました。

https://otocoto.jp/special/honyomi-otome001/2/

というインタビュー記事をたまたま見て、読んだ。中学生くらいのときにかなり序盤で投げ出して以来です。読んでみたら、ビックリするくらい面白かった。なんでこんなに面白いものを放棄したのか今となってはサッパリわからない。はじめから終わりまで、ずっと面白い。砂の穴の底の家で女と主人公「彼」が二人っきりという場面が多いから、だれそうなものだけど、全くそんなことはなくて、ノンストップでハラハラする。一気に読みました。寓話的という感じは、安部公房の作品に共通なんだろうけど、今回は、

世界が、裏返しになって、突起と窪みが、逆さになったのかもしれない。

という一文が、『砂の女』を要約しているんではないかと思ったりもしてみた。こっちからはこう見えるけど、あっちから見たら、こっちもあっちにとってはこうだ。みたいな思考が繰り返される。メタ的な考えが回り続ける。結局、みんな頭おかしいじゃん!!!それは、勿論、読者も含めて。

 というふうに、『砂の女』が何を意味しているか、のように解釈してみるのも楽しいんですけど、『砂の女』が小説であるからには、やはり、意味を解釈することからこぼれ落ちてしまう、描写を一番楽しむべきなんだろうし、実際それくらい面白い。

──ただ、安部公房はファンタジーではないけれど、非現実的な世界を描いてることが多いですよね。

齋藤 確かに現実的ではないんですけど、表現がすごくて、どこかの国ではこれが実際に起こってるんじゃないかと思えちゃうのがすごいなと思いました。

https://otocoto.jp/special/honyomi-otome001/2/

 ほんとうにこの通りでした。ものすごいリアリティ。似たような感じのことを、ドナルド・キーンさんも解説で書いていたように思います。握ろうとしても、そのたびに指の間から流れ落ちてしまうディテール。なんかこれ、砂っぽくない?

「失敗したよ‥‥‥」
 「はい‥‥‥」
 「まったく、あっさり、失敗してしまったもんだな。」
 「でも、巧く言った人なんて、いないんですよ‥‥‥まだ、いっぺんも‥‥‥」

 齋藤飛鳥さん、ありがとうございます。