映画『キングコング 髑髏島の巨神』

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 TOHOシネマズ渋谷で観た。

 

 以下、観る前、どのくらいのテンション感だったかのプチ記録です。観賞前に書きました。

 昨日までそんなに観るつもりなかったけど、ストレス発散になりそうだったから、今日、急に観に行きたくなった。 映画のトレーラーみたら、面白そうだった。

https://youtu.be/EmNlKaDeSBc

この島では、人類は、虫ケラに過ぎない!!

 いいですね〜。怪獣、というか動物が好きだったことを思い出した。

 ジョン・グッドマンも出演してるし、『コヨーテ・アグリー』を観た身空としては、勝手に親しみがある。

 もうちょっと待てば、もっと大きいスクリーンで観られるけど、待ちきれないから、やや小さめのスクリーンで観ます。

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 ※以上の文は、観る前に書いた。これからは、観た直後に書きました。

 殴られた。完全に殴られた。殴られた、としか言いようがない。観終わって、映画館出ようとしたら、フラッフラですよ。最高!!!最高だ!!!完全にナメてた。マジでナメてた。ノックアウトされましたよ。そんじょそこらのジェットコースターなんか乗るより、全然こわい。マジこわい。途中で耐えられずに、ヒャッて声が出そうになった。ギリギリで声を出さずに済んだ。ヤバすぎる。早くも今年のベスト映画決定じゃないですか。『キングコング 髑髏島の巨神』。「ストレス発散、ふんふんふ〜」ぐらいの気持ちで言ったら、ほんとうにビックリした。ヒャッ!!!うわッ!!!これは観た方がいいですよ、と思ったけど、「〜したほうがいい」のような比較的なやわらかさをもった言い方はヌルすぎる。観なくてはいけない。観・ざるを得ない。ほとんど定言命法の世界ですよ。定言命法がなにか知りませんが!『キングコング 髑髏島の巨神』。映画館で観なかった方、つまり超大画面と超大音量で観なかった方、という意味ですが、彼または彼女が、ふと2017年を振り返る。『キングコング 髑髏島の巨神』の公開が終わったあと、ふと2017年を思い出す。そのとき、彼または彼女が何を思うか。思い出す、勿論、『キングコング 髑髏島の巨神』を観なかった年として。永遠に取り返すことのできない、時の経過。悔やんでも悔やみきれない自分の胸の奥に刺さったままの棘として。そんな後悔もやっと忘れた、傷も癒えてきた。長い時間がかかった。普通の日常がやっと送れる。なんの疚しさもない、普通の生活が戻ってきた。と、思うのも束の間、短い昼の夢、思い違いから、叩き起こされることになる。『キングコング 髑髏島の巨神』に纏わるすべてによって。いや、そうではない。『キングコング 髑髏島の巨神』とはなんの関係もないはずのものを含んだ全てによって。あらゆるものが、『キングコング 髑髏島の巨神』の影になる。浮かんで消えるだろう。ある晴れた日に並木道を散歩する。心地よい。はずであった。なにかが引っかかる。いつも、どこにいても、自分はなにか罪を犯しているのではないか。それを周囲に気づかれているのではないか。では、その居た堪れなさ、決して安らぐことのない状態、その理由。「そうだ、この木は、コングが投げ飛ばしてヘリコプターを叩き落とすための木だ!」、「缶詰美味しいなあ。でもなにか違う。そうだ、これはギリギリで助かった兵士が食べるための缶詰だ!」。ただ一つ。『キングコング 髑髏島の巨神』を劇場で観なかったことである。「狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。」(マタイ福音書第7章第13節)。『キングコング 髑髏島の巨神』を観ないという選択の方が楽であろう。しかし、幸運ではないか。今回は、救いへの路も廣いですぞ。

 はあ、ということでね、キングコング観たわけですけども。ちょっとだけ、この映画について思ったことをメモしておきたい。多少ネタバレしてしまうかもしれないが、たぶんしません。

 サミュエル・L・ジャクソンが、不必要に、というか完全に必要ないにも関わらず、コングを殺そうとするのは、やっぱりヴェトナム戦争が泥沼になっていったことにかかっているんだろう。時代設定はヴェトナム戦争が終わりかかっているあたり。自ら必要もない戦争に突っ込んでいって、自ら悲惨な状態に陥る。 

 コングの目がアップになるシーンとサミュエル・L・ジャクソンの目がアップになるシーンがあるけど、コングの方が全然話が通じそうっていうことかな。

 現地人出ないのかな。現地人が造った壁出ないのかな。いままでのキングコングの映画ではあれが好きなんだけど。と思ってたら、バッチリ出てきました。

 ジン・ティエンが超かわいい。もっと話してほしかった。アジア系の美に気付かされた。違和感が全くない。

 ベトナムのシーンもかなり良かった。アジアのゴチャゴチャした感じが好き。

 ブリー・ラーソンも好き。

 みんな好き。

 怪獣のシリーズの第1作目らしいので、楽しみが増えて嬉しいです。

 

  ところで、全然キングコングと関係ないんですが、欅坂46が好きなんです。それで、そのなかでも「手を繋いで帰ろうか」という曲の

ぽっかりと空いたハート

何で穴埋めする?

というところが、振りも含めて、割と病的に好きなんですけども、私は『キングコング 髑髏島の巨神』で埋めました。

 

『岬』

岬 (文春文庫 な 4-1)

中上健次著『岬』文藝春秋、1978年。

 

 表題作「岬」で第74回(1975年下半期)芥川賞受賞。選考委員は、吉行淳之介丹羽文雄井上靖永井龍男瀧井孝作中村光夫安岡章太郎大岡昇平は欠席。受賞当時、中上健次29歳。中上は1946年生まれで、戦後生まれ初の芥川賞作家。さっき知ったんだけど、第75回(1976年上半期)芥川賞の受賞者が村上龍だったというのが意外だった。「限りなく透明に近いブルー」は、もっと全然後かと思っていた。

 文春文庫の『岬』は短篇集で、「黄金比の朝」、「火宅」、「浄徳寺ツアー」(芥川賞候補作)、「岬」(芥川賞受賞作)の四篇が収録されている。はじめに一度、「岬」を読んでから、また本のあたまから読んだから、「岬」は二回読んだ。

 ①「黄金比の朝」

 肉体労働のアルバイトをしながら生計を立てている予備校生のはなし。主人公の下宿先に過激派で左翼活動をしている兄が転がり込んできたり、主人公と兄と隣部屋に住んでいる浪人仲間と一緒に、たまたま知り合った女の人探しを手伝ってあげたりする。はじめの方は、学生運動の時代の浪人生とか大学生の話かあ、そのわりには似たような時代背景の小説とはまた別の暗さがあるし、あんまりピンとこないな、と思ってたけど、女が出てきてからかなり面白くなって、読み終わったら、気に入っていた。というか、この女が好き。

 ②「火宅」

 何処の馬の骨かもわからない暴力的な男と、その男の子である主人公と、主人公とは父親の違う兄のはなし。「黄金比の朝」に似たような設定がいくつかあった。主人公が、自分の幼い娘に、水を汲んでやったり膝に座らせて絵本を読んでやったりするところがいちばん良かった。こういう小さい子どもが愛されている系に滅法弱い。闘鶏のとことかDVのとことかはしんどいものがあった。動物虐待系には別の意味で弱い。(自称)動物の権利派なので。

 ③「浄徳寺ツアー」

 旅行会社に勤める男が添乗員として、老人たちを中心とする一行を引率するはなし。後半で、このツアーの目的がわかるわけだけど、それは読んでみてください。「黄金比の朝」、「火宅」、「岬」の三篇はわりと近い話だったけど、この「浄徳寺ツアー」は違うといえば違った。それでも、中上健次感というか雰囲気は一緒だった。同じ著者だし、当たり前といえば当たり前なことでしかないけど。ほとんど強姦まがいの行為をした翌日、男がちょっと優しげなことを言ったら、女が「あんたって、意外とデリケートでいい人じゃん」みたいなことを言うのは、さすがにどうかと思った。

 ④「岬」

 前の三篇とは、断絶があるような気がします。「黄金比の朝」、「火宅」とはかなり共通する部分があるんだけど、それでも。物凄い作品だと思います。何回読んでもおもしろい。まだ二回しか読んでないんですけど。とにかく、この本のなかではダントツで好きです。うまく感想が言えないので、パッと思いつく気に入ったところをあげます。でも、ほんとうに好きなシーンはもっとたくさんあるんですけどね。それも上手く選べないので。

弦叔父は、コップのビールを、一口ずつ飲んだ。「おれが、判事じゃ。おれが法律じゃ」

 風呂から出てきたステテコ姿の親方が、頭をタオルでこすりながら、わらっていた。

 「叔父の法律は、めちゃくちゃだ」親方が言う。

 「めちゃくちゃなものか。おまえらでも、悪いことして、美恵を泣かしとったら、すぐ死刑じゃ」と、一人でうなずく。

 このやりとりは、ちょっと笑ってしまいます。

「昔にもどりたいねえ」姉は言った。涙が眼にふくらんだ。「昔は、みんな生きとったのに」

 かなしいですね。

 熱を計るつもりか、母が姉の額に手を置いた。姉の眼に涙がふくれあがり、こぼれるのがわかった。

 このシーンもとってもいいですね。

 美恵の子どもの男の子のことも心配になります。家族への愛憎が再生産されてしまうのだろうか。美恵ェ、美恵ェ。

 地虫が鳴き始めていた。耳をそばだてるとかすかに聞こえる程だった。耳鳴りのようにも思えた。これから夜を通して、地虫は鳴きつづける。

 NHKのドキュメンタリー「路地の声 父の声〜中上健次を探して〜」でこの冒頭の文がよまれていて、いい文章だなあ、と思った。それで、読んだ。

この作業で、秋幸が血族のしがらみから心を解き放たれるとき、路地に立つ一本の樹を描写すること。しかも根元から視線をあげて、枝葉から空へと放つこと。駅裏に住む姉の感情が昂ぶり、取り乱す情景には、機関車の地響きや轟音を効果として使うこと。そして、これは芥川賞選考会で、吉行淳之介さんと安岡章太郎さんの評価が分かれたところだが、岬の突端を男根の形に描写し、海に突き刺すように提案したのだった。これを若者らしくていいというのが吉行さん。あざといというのが安岡さんだった。

https://pdmagazine.jp/people/nakagami-kenji/

 参考になります。

『肝っ玉おっ母とその子どもたち』

肝っ玉おっ母とその子どもたち (岩波文庫)

ベルトルト・ブレヒト著、岩淵達治訳『肝っ玉おっ母とその子どもたち』岩波書店、2004年。

 Bertolt Brecht, Mutter Courage und ihre Kinder, 1939.

 

 岩波文庫の解説は、訳者の岩淵達治。

 

 『三文オペラ』を何年か前に読もうと思ったものの途中で放棄してしまった記憶がある。そのときは、あいだに挿入される歌の曲をいちいちYouTubeで聴きながら読むみたいな面倒なことしてたからほっぽり出してしまったんだと思う。有害な真面目さというか。次は、最後まで読んでみたい。今回はじめて知ったんだけど、ブレヒトの戯曲って、挿入歌がある作品が多いんですね。『三文オペラ』だけかと思ってた。オペラだし。『肝っ玉おっ母とその子どもたち』を読んで、あれっ歌がある、みたいな。曲をまた調べようかみたいな気分にちょっとはなったけど、まためんどくさくなって読むのに飽きたら本末転倒な感じがしてやめた。というか、これもはじめて知ったことで、ひとつの歌に対していくつかメロディーが作曲されて、それぞれ上演されたりされなかったりしたらしいから、別にいちいち曲聴かなくてもよかったっぽい。岩波文庫の『桜の園』を読んだときも思ったんだけど、戯曲についてる訳者解説がすごく参考になった。舞台にするときに役に立つように詳しくしてくれているのかな。観客が登場人物に同化・感情移入してカタルシスを得るような作りの従来の劇=アリストテレス劇に対して、登場人物たちを客観的・批判的にみることを観客に要請する叙事的演劇をブレヒトが生みだしたということは広く知られているけれども、意外にもかなり感情移入できた、というかしてしまった。もっと無機質っぽい劇なのかな〜と勝手に想像してたけど、そんなことはなかった。すこし気になったのは、それでも感動しちゃうんだけど、娘のカトリンのキャラクター造形がかなりステレオタイプな感じだったこと。障害者は完全に無垢で善人だという感じ。と思ったら、ブレヒト自身による演出のための注釈でそうではないこと、例えば、は省略するけれども、がバッチリ書かれていた。障害者だって普通の人間だということがブレヒトがわからないはずはないですね。と思ったんですけど、やはり「健常者にはない僻み」みたいなことが、不正確な書き方かもしれませんけど、そういうことが書いてあった、それは訳注かもしれない、というかたぶん訳注だったのでブレヒトはそう言ってないからブレヒトは悪くないかもしれないんですけど、「健常者」とは違う、という視点はどうかと思うんですよ。「健常者」と同じような精神であるわけだと思うんですよ。だから、「健常者」にも善人がいるように、このカトリンが善人であったとしても全く問題ないですね。やっぱりブレヒト悪くなかった。因みに、あんまり関係ないかもしれないけど、2016年に観た映画のなかでは、『聲の形』がいちばん良かった。この「ちょっとステレオタイプっぽいな〜」って感想をもちながら読んじゃう感じ、叙事的演劇?

映画『ナイスガイズ!』

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 ヒューマントラストシネマ渋谷で観た。

 70年代・アメリカ・探偵・コメディ......はい最高。タイトルのデザインを見た時点で勝利を確信した。映画の『69 sixty nine』が好きで、なんとなく似てるというだけなんですけど。

 ライアン・ゴズリングは今、『ラ・ラ・ランド』にも出演しているけど、この映画もむちゃくちゃ良かった。というか、こっちの方がカッコよかった。

 やっぱり70年代のファッションとか音楽とかの文化っていいなぁって思った。

 冒頭の、ラッセル・クロウの低音ナレーションで「最近のガキはマセすぎている」からはじまる場面と、大統領のシーンがかなり笑えた。あと、死体を隠そうとして、ドンッ!というところも。まだ上映中だから内容の話はこれくらいにしておこうと思う。ストーリー展開の理屈はイマイチきちんと理解できなかった。もう一回くらい観たいかもしれない。『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』的な感じだった。『アザー・ガイズ』は舞台が現代だから敵がウォール街、『ナイスガイズ!』は......。まあ、バディ・ムービーに詳しくないから、よくわからないけど。

 アンガーリー・ライスが超かわいい。死ぬほどかわいい。ヤヤ・ダコスタもいいですね〜。アフロヘアってきれいだよね。

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 パンフレットも買った。

映画『プロメテウス』

プロメテウス (字幕版) 

 これは酷い。毎秒ツッコミどころが5個ぐらいあった。観ていてイライラする。監督向いてないからやめろ、と思ったらリドリー・スコットだった。監督というより、完全に脚本家の問題だけど。

 TSUTAYAで旧作4本400円キャンペーンみたいなのをやってたから、借りてきた。

 吹き替え版では剛力彩芽が主人公エリザベス・ショウ役の声をあてているんだけど、剛力彩芽をかなり好きな人間としてもさすがにこれはいただけなかった。はじめから剛力彩芽が吹き替えをしていると知っていれば全力で擁護するつもりで楽しめたんだろうけど、吹き替え版で観て、誰だよこれって感じで調べたら剛力彩芽でびっくり、といった感じだったので自分に素直にすることにした。もうすでにさんざんに叩かれているところに付け加える必要はなにひとつないんだけど。

 でもやっぱり剛力彩芽は最高なんだ。剛力彩芽だと思って観てたら、かわいく思えてきた。剛力彩芽叩きをいまだにやっている人は『レンタルの恋』でも観て評価を改めてください。

 人類を創り出した「エンジニア」たちを探しに宇宙の遥か彼方の地球へ似た星へ。「エンジニア」とコンタクトをとって人類の謎を解明するのが目的。この星では、「エンジニア」が創り出したっぽい「破壊兵器」(まあ、エイリアンですが)によって「エンジニア」自身が殺戮されてほとんど絶滅状態になっているのがわかった。やっとのこと「エンジニア」の生き残りをみつけたものの、彼はなぜか何千年も停止状態にあった宇宙船を発進させて地球へ人類を滅ぼしに向かおうとする。それを阻止するため、探索隊は自分たちが乗ってきた宇宙船をそれにぶつける自爆作戦が成功。で、いろいろあったけど何もわからず、探索隊のなかでただ一人生き残った主人公は、「エンジニア」たちが住む別の星へ向かう。というような感じ。「エンジニア」はムキムキになったヴォルデモートって感じの見た目。

 『エイリアン』シリーズのプレ・ストーリー的な作品なんだろうけど、マジで何も発展性がない。謎っぽいものが示されたっぽい。ぽいとしか言えない。ちゃんと把握しておかなくちゃいけない謎と、登場人物たちの単なるマヌケ行動との区別がつきにくくて混乱する。探索隊のクルーたちは、一応、地質学とか考古学とか生物学とかの博士で専門家なんだけど、本当に一々が馬鹿すぎる。素人でもそんなことしねえよ!っていうのがめっちゃ多い。ネットを検索すればそういう気になるところを指摘したサイトが無限に出てくるわけですけども、自分がどう思ったのかを記録するために、屋上屋を架し、適当に思い出せるなかで何個か例を挙げると

 地球の大気の構成成分とほとんど一緒で宇宙服のヘルメットとっても呼吸できるじゃん!→ほんとにヘルメットとって案の定、感染症にかかって死亡。

 うわ〜地球外生物だ!→接近して触ろうとしたら襲われて死亡(ちなみに生物学者)。

砂嵐のせいで仲間二人が、外というか危険地域に取り残される。宇宙服のカメラで辺りの様子と位置情報がリアルタイムにわかるにもかかわらず、宇宙船の乗組員たちはほとんど見守らない。

 宇宙船内でクルーの情報共有がゼロ。たとえば、感染症に罹っている可能性のある主人公を隔離しようとするも、主人公逃走。その後、主人公何事もなかったかのように別のクルーに受け入れられている。また、宇宙船にヤバいやつが侵入しようとして応戦するも、ほかのクルーたち興味なし。

などなど、無限に疑問点がある。個人的に気になったのは、シャーリーズ・セロン演じる探索隊の監督役メレディス・ヴィッカーズが人間かアンドロイドか最後まで謎だったこと。仲間からも「あんた、ロボットか?」と尋ねられ、メレディスが「あとで私の部屋に来て」と答えたから、セックス系でどっちかわかるのねと待っていると、この流れ完全放置。なんじゃそりゃ!

 この作品のテーマとかはとってもおもしろそうなのに、ディテールが気持ちわるすぎてあまり楽しめなかった。

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 続編『エイリアン:コヴナント』は今年5月にアメリカで公開されるらしいです。