『1973年のピンボール』

1973年のピンボール (講談社文庫)

村上春樹著『1973年のピンボール講談社、2004年。

 

 第83回(1980年上半期)芥川賞候補作。候補当時、村上春樹31歳。

 

 『風の歌を聴け』は夏の話だった。『1973年のピンボール』は夏の終わりからはじまる。鼠三部作の第2弾。なんか完結編は『ダンス・ダンス・ダンス』らしいですね。『羊をめぐる冒険』かと思ってた。『ダンス・ダンス・ダンス』が文庫本で上下巻なの全然知らなかったな。勝手に『風の歌を聴け』とか『1973年のピンボール』ぐらいの薄さだと思いこんでた。『羊をめぐる冒険』が上下なのは知ってたけど。この二作はまだ読んでないので、これから楽しみ。

 夏の終わり......

何も変わる事なく ひと夏が過ぎ去り

言葉通りの お別れだけ

(SUGAR BABE 「夏の終わりに」)

 『1973年のピンボール』って、なんか動物がかわいそうな表現が多いなあ。プチ・エピソードでも比喩でも。ネズミ捕りでネズミが死んだり、電話の配電盤が母犬にたとえられて、母犬が死んだら仔犬も死んで、なんとか、みたいな。こういう感じのが山のように出てくる。なんとなく嫌......べつに人間が死んだりするのは普通の感傷として受けいれられるけど、動物は嫌だな......あと、セックスに関する直接的な言及が多い。これも多少、嫌......『風の歌を聴け』は、そんなでもなかった気がする。でも、『1973年のピンボール』が最高なことにはちがいないんだけどね。

 僕はため息をついた。「死なせたくない」
 「気持ちはわかるわ」と一人が言った。「でもきっと、あなたには荷が重すぎたのよ」

 それはまるで今年の冬は雪が少ないからスキーはあきらめなさい、とでも言う時のような実にあっさりとした言い方だった。僕はあきらめてコーヒーを飲んだ。

 いま自分の人生史上いちばん、初期春樹がいい感じになってる気がしなくもない。『風の歌を聴け』を永遠に読みかえしていたから、それと『1973年のピンボール』しかまだ読んでないんだけど。だから、『羊をめぐる冒険』以降が残ってるのかあ、と思うとかなり楽しみ。いちど読んだ小説を何回も読むのが好きだから、読んだことのない小説を楽しみに思うことはそんなにないんだけど、いまはすごい楽しみ。

 ジェイって、中国に行ったことがないみたいなことを、『風の歌を聴け』で言ってた記憶があったから日本生まれかと思ってたけど、中国生まれなんですね。まあ、前作とのつながりをどう考えるかって問題はあると思いますが。もの心ついてからは行ったことがないってことかな。

 

 短編小説自体があまり得意じゃないから、とりあえず村上春樹の長編小説は出版順に全部読みたい。

  1. 風の歌を聴け
  2. 1973年のピンボール
  3. 羊をめぐる冒険
  4. 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
  5. ノルウェイの森
  6. ダンス・ダンス・ダンス
  7. 国境の南、太陽の西
  8. ねじまき鳥クロニクル
  9. スプートニクの恋人
  10. 海辺のカフカ
  11. アフターダーク
  12. 1Q84
  13. 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
  14. 騎士団長殺し

 でも、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』と『騎士団長殺し』はあんまり読みたいと思わないな笑

『海と毒薬』

海と毒薬 (新潮文庫)

遠藤周作著『海と毒薬』新潮社、1960年。

 

 第5回(1958年)新潮社文学賞、第12回(1958年)毎日出版文化賞文学・芸術部門受賞作。新潮社文学賞は、亀井勝一郎河上徹太郎川端康成河盛好蔵小林秀雄中島健蔵中村光夫山本健吉、新潮社出版部長が選考委員。毎日出版文学賞は、面倒だから省略。受賞当時、遠藤周作34歳。

 

 4月はやはり学校のはじまりでもあるし、色々あって、読むのにかなり時間がかかってしまった。時間がかかったというより、途中に何度かしばらく放置してしまったから、休憩期間が多かったというべきかな。まあ、『海と毒薬』を読むのは2度目なわけですけども。結構好きな本で、初めて読んでから、心に印象がかなり残っていて、それでまた読みたいなあって思って、読み返したんですよお。遠藤周作の小説によくある気がするんですけど、本筋のストーリーが一旦進んでから、そこに登場した人物たちの個人史が一人称とかなんかそんなんで語られなおして、どういうふうな経緯、心境で彼らがその事件というかメインの物語に参加していたかが、わかってくる、という構成が、めっちゃ好き。『海と毒薬』だと、あの看護婦の手記がいい感じですね。個人的には。何回も思い出してしまう。遠藤周作の小説は、余韻がすごいんです。

医学部の西には海がみえる。屋上にでるたびに彼は時にはくるしいほど碧く光り、時には陰鬱に黝ずんだ海を眺める。

  屋上から見える黒い街と黒い海、というイメージがなぜか好き。

遠藤が九州大学病院の建物に見舞い客を装って潜り込んだ際、屋上で手すりにもたれて雨にけぶる町と海とを見つめ、「海と毒薬」という題がうかんだという。評論家の山本健吉は、「運命とは黒い海であり、自分を破片のように押し流すもの。そして人間の意志や良心を麻痺させてしまうような状況を毒薬と名づけたのだろう」としている。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/海と毒薬)

 苦い諦めといいようのない疲労...... 

 

映画『勝手にしやがれ』

勝手にしやがれ [DVD]

  はじめてゴダールの映画を観た。おもしろかったといえばおもしろかったし、なんとなく格好いいし、ストーリーも把握できたつもりだけど、なぜか、サッパリ意味がわからない、という感想が出てきてしまう。どこがわからないのか、この映画において意味とはなにか、何がわからないのかもわからない。どうしようもないな......

 フランス語がちょくちょく聞き取れて嬉しかった。フランス人の髪ってやわらかそう......まあ、それが今の感想かな......困ったな。

 

 全然1ミリも関係ないんだけど、堀(未央奈)ちゃんの岐阜弁が可愛すぎるんやが。

映画『時をかける少女』

時をかける少女

  1983年の大林宣彦監督による、原田知世主演のバージョン。原田知世は当時15歳。わたし的にはかなり好きな映画。わたし的、以外の「好き」が存在するのかどうか知らないが。あまりにも有名な作品だし、大林宣彦だし、原田知世だしで、めちゃくちゃ権威のある映画かと思って、まわりの知人たちに観てもらったら、かなりの不評で、結構ビックリした。演技が下手すぎる、話の筋が出鱈目すぎ、途中で笑わせにきてる、などなど。まあ、完全にそうだと思いますよ、私も。でも、それを超えるものがあるわけじゃないですか。胸に迫るものがあるわけじゃないですか。その欠点が、あきらかに、ひとつの調和をもたらしている。間違いなく、記憶に焼き付いて、これからさきの人生の折々で、何度となくフラッシュバックしたり反芻したりするような映画なんですよ。あ、これ『時をかける少女』じゃん!みたいな。演技下手だと思うけど、ほかの80年代の日本映画観たら、だいたいみんなこんな感じのしゃべり方だし、80年代の日本人はリアルでもこういうふうに話してたんじゃないかな、と思わなくもないです。でも、そんなことはどうでもいいではありませんか。原田知世がかわいいのだから。しかし、性的過ぎなくもないですけどね。撮り方が、完璧にいやらしいですよね、いちいちが。思春期の少女の性的な戸惑いみたいなものがテーマらしく思えたので、当たり前かもしれませんが。あまりにも有名なエンドロールの、原田知世が「時をかける少女」を歌うところ。最高です。もうそれだけで最高なんです。いいんです、それで。

『風の歌を聴け』

風の歌を聴け (講談社文庫)

村上春樹著『風の歌を聴け講談社、1979年。

 

 第22回(1979年)群像新人文学賞受賞作。選考委員は、佐々木基一佐多稲子島尾敏雄丸谷才一吉行淳之介。受賞当時、村上春樹30歳。

 私は『風の歌を聴け』をほとんど偏愛しています。気が向いたときに、何度となく読み返してきました。というほどは読んでないんですが、偏愛しているのは本当です、というふうに自分のなかでは諒解しています。でも、読んでないといったって、今回を含めて四回くらいは通しで読んできたと思う。適当にパラパラとめくってみてもきた。だけど、毎回しばらくして、内容を思い出そうとしても、鮮明にはディテールを思い出せません。なんとなく、読んだときの感傷があるような気がするだけです。夏の終わりの寂しさが、テーマというかなんというかそういうものだと思いますが、その寂しさの印象が、『風の歌を聴け』への私のすべてです。印象でしかないといえばそうなんですが、個別のエピソードの積み重ねが、なにかを完璧にとららえています。スキー場とかそういう旅行先の売店でよく売っている空気の缶詰みたいなかんじです。べつに、なかに何か入っているわけでもないけども、間違いなく、そのときの、感情とか目に入ってきた映像とかを一瞬にしてフラッシュバックさせるような、そういう力があると思います。永遠に・その・時・が・ある。からこそ、何度も何度も再読を誘う作品であるのだろうと。しかし、個人的な問題として一つあるのが、『風の歌を聴け』を愛しているだけで、その後の『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』などなどにつながっていかないことです。私は、根本的に好奇心というか知的向上心が欠如していて、こと生活に関しては非常な保守性を示す性質らしい。無理矢理に一回でも読んでしまえば、もう慣れてしまって楽しめるんだけど、そこまでに心理的な障壁がかなり。ここまでは読んだぞ、と記録するためにこのブログをはじめたので、ここから進んでみたい。強迫神経症っぽいと勝手に思ってます。強迫神経症についてべつに何も知りませんので、妄想ですが。と、いろいろ言ってきましたが、『風の歌を聴け』にも違和を感じる部分もかなりあります。第一、鼻に付くことは否定できませんな。『砂の女』とタイムラグなしに読んだんですけど、『砂の女』と比べると、どうでもいいことをグチグチ言いやがって、と思う部分がかなりある。「ほかのひとのことなんて、どうでもいいじゃないですか」と、ただ働くような姿と比べると、甘えやがってと感じてしまう。『風の歌を聴け』は、若者を扱った小説なんで当たり前かもしれませんけどね。それに、倫理的にどうなんだ、と思うようなところが散見されます。そのなかでも、今回はじめて気づいたのは、中国人のジェイに対する軽口でした。と言っても、小説内では直接ジェイに言っているわけではありませんが。ジェイは中国人なのに「僕」よりも日本語が上手い、みたいなことを言っているわけですけども、話を後半まで読み進めてみると、ジェイは中国には一度も行ったことがないらしい。おそらく、というか確定だと思いますが、ジェイは日本生まれな訳です。それならば、ジェイが「僕」よりも日本語が上手くったって、なんの不思議もないではないか。と思ってたけど、『1973年のピンボール』読んだら、中国生まれでした。みたいなことがちょっと引っかかったりしてみたり、自殺の扱いどうなんだとか色々ありましたが、そんな傷は大した問題ではない。私は『風の音を聴け』が好きなんです。

『砂の女』

砂の女 (新潮文庫)

安部公房著『砂の女』新潮社、2003年。

 

 第14回(1962年度)讀賣文学賞小説賞受賞作。選考委員は、矢鱈に多いので省略。受賞当時、安部公房38歳。新潮文庫の解説は、ドナルド・キーン。背表紙は銀色じゃなくて水色のほうがいいのになぁ......

──3、4年生の時に何があったのか気になるところですが(笑)。暗くて重い本というところで、“最近ハマった作家”が安部公房というのも納得です。

齋藤 そうなんですよ。最近読んでハマってしまいました。

──ちなみに何を読まれたんですか?

齋藤 『砂の女』を初めて読んで、“なんだこれは?!”と。今まで貫井さんがトップだったんですけど、一瞬で並びました。

https://otocoto.jp/special/honyomi-otome001/2/

というインタビュー記事をたまたま見て、読んだ。中学生くらいのときにかなり序盤で投げ出して以来です。読んでみたら、ビックリするくらい面白かった。なんでこんなに面白いものを放棄したのか今となってはサッパリわからない。はじめから終わりまで、ずっと面白い。砂の穴の底の家で女と主人公「彼」が二人っきりという場面が多いから、だれそうなものだけど、全くそんなことはなくて、ノンストップでハラハラする。一気に読みました。寓話的という感じは、安部公房の作品に共通なんだろうけど、今回は、

世界が、裏返しになって、突起と窪みが、逆さになったのかもしれない。

という一文が、『砂の女』を要約しているんではないかと思ったりもしてみた。こっちからはこう見えるけど、あっちから見たら、こっちもあっちにとってはこうだ。みたいな思考が繰り返される。メタ的な考えが回り続ける。結局、みんな頭おかしいじゃん!!!それは、勿論、読者も含めて。

 というふうに、『砂の女』が何を意味しているか、のように解釈してみるのも楽しいんですけど、『砂の女』が小説であるからには、やはり、意味を解釈することからこぼれ落ちてしまう、描写を一番楽しむべきなんだろうし、実際それくらい面白い。

──ただ、安部公房はファンタジーではないけれど、非現実的な世界を描いてることが多いですよね。

齋藤 確かに現実的ではないんですけど、表現がすごくて、どこかの国ではこれが実際に起こってるんじゃないかと思えちゃうのがすごいなと思いました。

https://otocoto.jp/special/honyomi-otome001/2/

 ほんとうにこの通りでした。ものすごいリアリティ。似たような感じのことを、ドナルド・キーンさんも解説で書いていたように思います。握ろうとしても、そのたびに指の間から流れ落ちてしまうディテール。なんかこれ、砂っぽくない?

「失敗したよ‥‥‥」
 「はい‥‥‥」
 「まったく、あっさり、失敗してしまったもんだな。」
 「でも、巧く言った人なんて、いないんですよ‥‥‥まだ、いっぺんも‥‥‥」

 齋藤飛鳥さん、ありがとうございます。

映画『キングコング 髑髏島の巨神』

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 TOHOシネマズ渋谷で観た。

 

 以下、観る前、どのくらいのテンション感だったかのプチ記録です。観賞前に書きました。

 昨日までそんなに観るつもりなかったけど、ストレス発散になりそうだったから、今日、急に観に行きたくなった。 映画のトレーラーみたら、面白そうだった。

https://youtu.be/EmNlKaDeSBc

この島では、人類は、虫ケラに過ぎない!!

 いいですね〜。怪獣、というか動物が好きだったことを思い出した。

 ジョン・グッドマンも出演してるし、『コヨーテ・アグリー』を観た身空としては、勝手に親しみがある。

 もうちょっと待てば、もっと大きいスクリーンで観られるけど、待ちきれないから、やや小さめのスクリーンで観ます。

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 ※以上の文は、観る前に書いた。これからは、観た直後に書きました。

 殴られた。完全に殴られた。殴られた、としか言いようがない。観終わって、映画館出ようとしたら、フラッフラですよ。最高!!!最高だ!!!完全にナメてた。マジでナメてた。ノックアウトされましたよ。そんじょそこらのジェットコースターなんか乗るより、全然こわい。マジこわい。途中で耐えられずに、ヒャッて声が出そうになった。ギリギリで声を出さずに済んだ。ヤバすぎる。早くも今年のベスト映画決定じゃないですか。『キングコング 髑髏島の巨神』。「ストレス発散、ふんふんふ〜」ぐらいの気持ちで言ったら、ほんとうにビックリした。ヒャッ!!!うわッ!!!これは観た方がいいですよ、と思ったけど、「〜したほうがいい」のような比較的なやわらかさをもった言い方はヌルすぎる。観なくてはいけない。観・ざるを得ない。ほとんど定言命法の世界ですよ。定言命法がなにか知りませんが!『キングコング 髑髏島の巨神』。映画館で観なかった方、つまり超大画面と超大音量で観なかった方、という意味ですが、彼または彼女が、ふと2017年を振り返る。『キングコング 髑髏島の巨神』の公開が終わったあと、ふと2017年を思い出す。そのとき、彼または彼女が何を思うか。思い出す、勿論、『キングコング 髑髏島の巨神』を観なかった年として。永遠に取り返すことのできない、時の経過。悔やんでも悔やみきれない自分の胸の奥に刺さったままの棘として。そんな後悔もやっと忘れた、傷も癒えてきた。長い時間がかかった。普通の日常がやっと送れる。なんの疚しさもない、普通の生活が戻ってきた。と、思うのも束の間、短い昼の夢、思い違いから、叩き起こされることになる。『キングコング 髑髏島の巨神』に纏わるすべてによって。いや、そうではない。『キングコング 髑髏島の巨神』とはなんの関係もないはずのものを含んだ全てによって。あらゆるものが、『キングコング 髑髏島の巨神』の影になる。浮かんで消えるだろう。ある晴れた日に並木道を散歩する。心地よい。はずであった。なにかが引っかかる。いつも、どこにいても、自分はなにか罪を犯しているのではないか。それを周囲に気づかれているのではないか。では、その居た堪れなさ、決して安らぐことのない状態、その理由。「そうだ、この木は、コングが投げ飛ばしてヘリコプターを叩き落とすための木だ!」、「缶詰美味しいなあ。でもなにか違う。そうだ、これはギリギリで助かった兵士が食べるための缶詰だ!」。ただ一つ。『キングコング 髑髏島の巨神』を劇場で観なかったことである。「狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。」(マタイ福音書第7章第13節)。『キングコング 髑髏島の巨神』を観ないという選択の方が楽であろう。しかし、幸運ではないか。今回は、救いへの路も廣いですぞ。

 はあ、ということでね、キングコング観たわけですけども。ちょっとだけ、この映画について思ったことをメモしておきたい。多少ネタバレしてしまうかもしれないが、たぶんしません。

 サミュエル・L・ジャクソンが、不必要に、というか完全に必要ないにも関わらず、コングを殺そうとするのは、やっぱりヴェトナム戦争が泥沼になっていったことにかかっているんだろう。時代設定はヴェトナム戦争が終わりかかっているあたり。自ら必要もない戦争に突っ込んでいって、自ら悲惨な状態に陥る。 

 コングの目がアップになるシーンとサミュエル・L・ジャクソンの目がアップになるシーンがあるけど、コングの方が全然話が通じそうっていうことかな。

 現地人出ないのかな。現地人が造った壁出ないのかな。いままでのキングコングの映画ではあれが好きなんだけど。と思ってたら、バッチリ出てきました。

 ジン・ティエンが超かわいい。もっと話してほしかった。アジア系の美に気付かされた。違和感が全くない。

 ベトナムのシーンもかなり良かった。アジアのゴチャゴチャした感じが好き。

 ブリー・ラーソンも好き。

 みんな好き。

 怪獣のシリーズの第1作目らしいので、楽しみが増えて嬉しいです。

 

  ところで、全然キングコングと関係ないんですが、欅坂46が好きなんです。それで、そのなかでも「手を繋いで帰ろうか」という曲の

ぽっかりと空いたハート

何で穴埋めする?

というところが、振りも含めて、割と病的に好きなんですけども、私は『キングコング 髑髏島の巨神』で埋めました。