『肝っ玉おっ母とその子どもたち』

肝っ玉おっ母とその子どもたち (岩波文庫)

ベルトルト・ブレヒト著、岩淵達治訳『肝っ玉おっ母とその子どもたち』岩波書店、2004年。

 Bertolt Brecht, Mutter Courage und ihre Kinder, 1939.

 

 岩波文庫の解説は、訳者の岩淵達治。

 

 『三文オペラ』を何年か前に読もうと思ったものの途中で放棄してしまった記憶がある。そのときは、あいだに挿入される歌の曲をいちいちYouTubeで聴きながら読むみたいな面倒なことしてたからほっぽり出してしまったんだと思う。有害な真面目さというか。次は、最後まで読んでみたい。今回はじめて知ったんだけど、ブレヒトの戯曲って、挿入歌がある作品が多いんですね。『三文オペラ』だけかと思ってた。オペラだし。『肝っ玉おっ母とその子どもたち』を読んで、あれっ歌がある、みたいな。曲をまた調べようかみたいな気分にちょっとはなったけど、まためんどくさくなって読むのに飽きたら本末転倒な感じがしてやめた。というか、これもはじめて知ったことで、ひとつの歌に対していくつかメロディーが作曲されて、それぞれ上演されたりされなかったりしたらしいから、別にいちいち曲聴かなくてもよかったっぽい。岩波文庫の『桜の園』を読んだときも思ったんだけど、戯曲についてる訳者解説がすごく参考になった。舞台にするときに役に立つように詳しくしてくれているのかな。観客が登場人物に同化・感情移入してカタルシスを得るような作りの従来の劇=アリストテレス劇に対して、登場人物たちを客観的・批判的にみることを観客に要請する叙事的演劇をブレヒトが生みだしたということは広く知られているけれども、意外にもかなり感情移入できた、というかしてしまった。もっと無機質っぽい劇なのかな〜と勝手に想像してたけど、そんなことはなかった。すこし気になったのは、それでも感動しちゃうんだけど、娘のカトリンのキャラクター造形がかなりステレオタイプな感じだったこと。障害者は完全に無垢で善人だという感じ。と思ったら、ブレヒト自身による演出のための注釈でそうではないこと、例えば、は省略するけれども、がバッチリ書かれていた。障害者だって普通の人間だということがブレヒトがわからないはずはないですね。と思ったんですけど、やはり「健常者にはない僻み」みたいなことが、不正確な書き方かもしれませんけど、そういうことが書いてあった、それは訳注かもしれない、というかたぶん訳注だったのでブレヒトはそう言ってないからブレヒトは悪くないかもしれないんですけど、「健常者」とは違う、という視点はどうかと思うんですよ。「健常者」と同じような精神であるわけだと思うんですよ。だから、「健常者」にも善人がいるように、このカトリンが善人であったとしても全く問題ないですね。やっぱりブレヒト悪くなかった。因みに、あんまり関係ないかもしれないけど、2016年に観た映画のなかでは、『聲の形』がいちばん良かった。この「ちょっとステレオタイプっぽいな〜」って感想をもちながら読んじゃう感じ、叙事的演劇?