『岬』

岬 (文春文庫 な 4-1)

中上健次著『岬』文藝春秋、1978年。

 

 表題作「岬」で第74回(1975年下半期)芥川賞受賞。選考委員は、吉行淳之介丹羽文雄井上靖永井龍男瀧井孝作中村光夫安岡章太郎大岡昇平は欠席。受賞当時、中上健次29歳。中上は1946年生まれで、戦後生まれ初の芥川賞作家。さっき知ったんだけど、第75回(1976年上半期)芥川賞の受賞者が村上龍だったというのが意外だった。「限りなく透明に近いブルー」は、もっと全然後かと思っていた。

 文春文庫の『岬』は短篇集で、「黄金比の朝」、「火宅」、「浄徳寺ツアー」(芥川賞候補作)、「岬」(芥川賞受賞作)の四篇が収録されている。はじめに一度、「岬」を読んでから、また本のあたまから読んだから、「岬」は二回読んだ。

 ①「黄金比の朝」

 肉体労働のアルバイトをしながら生計を立てている予備校生のはなし。主人公の下宿先に過激派で左翼活動をしている兄が転がり込んできたり、主人公と兄と隣部屋に住んでいる浪人仲間と一緒に、たまたま知り合った女の人探しを手伝ってあげたりする。はじめの方は、学生運動の時代の浪人生とか大学生の話かあ、そのわりには似たような時代背景の小説とはまた別の暗さがあるし、あんまりピンとこないな、と思ってたけど、女が出てきてからかなり面白くなって、読み終わったら、気に入っていた。というか、この女が好き。

 ②「火宅」

 何処の馬の骨かもわからない暴力的な男と、その男の子である主人公と、主人公とは父親の違う兄のはなし。「黄金比の朝」に似たような設定がいくつかあった。主人公が、自分の幼い娘に、水を汲んでやったり膝に座らせて絵本を読んでやったりするところがいちばん良かった。こういう小さい子どもが愛されている系に滅法弱い。闘鶏のとことかDVのとことかはしんどいものがあった。動物虐待系には別の意味で弱い。(自称)動物の権利派なので。

 ③「浄徳寺ツアー」

 旅行会社に勤める男が添乗員として、老人たちを中心とする一行を引率するはなし。後半で、このツアーの目的がわかるわけだけど、それは読んでみてください。「黄金比の朝」、「火宅」、「岬」の三篇はわりと近い話だったけど、この「浄徳寺ツアー」は違うといえば違った。それでも、中上健次感というか雰囲気は一緒だった。同じ著者だし、当たり前といえば当たり前なことでしかないけど。ほとんど強姦まがいの行為をした翌日、男がちょっと優しげなことを言ったら、女が「あんたって、意外とデリケートでいい人じゃん」みたいなことを言うのは、さすがにどうかと思った。

 ④「岬」

 前の三篇とは、断絶があるような気がします。「黄金比の朝」、「火宅」とはかなり共通する部分があるんだけど、それでも。物凄い作品だと思います。何回読んでもおもしろい。まだ二回しか読んでないんですけど。とにかく、この本のなかではダントツで好きです。うまく感想が言えないので、パッと思いつく気に入ったところをあげます。でも、ほんとうに好きなシーンはもっとたくさんあるんですけどね。それも上手く選べないので。

弦叔父は、コップのビールを、一口ずつ飲んだ。「おれが、判事じゃ。おれが法律じゃ」

 風呂から出てきたステテコ姿の親方が、頭をタオルでこすりながら、わらっていた。

 「叔父の法律は、めちゃくちゃだ」親方が言う。

 「めちゃくちゃなものか。おまえらでも、悪いことして、美恵を泣かしとったら、すぐ死刑じゃ」と、一人でうなずく。

 このやりとりは、ちょっと笑ってしまいます。

「昔にもどりたいねえ」姉は言った。涙が眼にふくらんだ。「昔は、みんな生きとったのに」

 かなしいですね。

 熱を計るつもりか、母が姉の額に手を置いた。姉の眼に涙がふくれあがり、こぼれるのがわかった。

 このシーンもとってもいいですね。

 美恵の子どもの男の子のことも心配になります。家族への愛憎が再生産されてしまうのだろうか。美恵ェ、美恵ェ。

 地虫が鳴き始めていた。耳をそばだてるとかすかに聞こえる程だった。耳鳴りのようにも思えた。これから夜を通して、地虫は鳴きつづける。

 NHKのドキュメンタリー「路地の声 父の声〜中上健次を探して〜」でこの冒頭の文がよまれていて、いい文章だなあ、と思った。それで、読んだ。

この作業で、秋幸が血族のしがらみから心を解き放たれるとき、路地に立つ一本の樹を描写すること。しかも根元から視線をあげて、枝葉から空へと放つこと。駅裏に住む姉の感情が昂ぶり、取り乱す情景には、機関車の地響きや轟音を効果として使うこと。そして、これは芥川賞選考会で、吉行淳之介さんと安岡章太郎さんの評価が分かれたところだが、岬の突端を男根の形に描写し、海に突き刺すように提案したのだった。これを若者らしくていいというのが吉行さん。あざといというのが安岡さんだった。

https://pdmagazine.jp/people/nakagami-kenji/

 参考になります。